IT投資マネジメント講座 第2回:IT投資評価論の歴史的変遷


第2回目は、IT投資評価に関する研究を歴史的にたどっていきます。IT投資評価論は、情報技術(IT)そのものの急速な発展に止まらず、その利用形態の変化に合わせて発展してきました。そのため、経営情報システムの発展との対比でIT投資評価論の発展を見ていくとその特性がより明確になります。
我が国における経営情報研究の先駆者のひとりである島田達巳氏(摂南大学教授)は、その著書『経営情報システム』(日科技連)のなかで、経営情報システムの発展段階を(1)汎用機時代、(2)PC(パソコン)時代、(3)インターネット時代、(4)ユビキタスネット時代に区分し、おのおのの時代特性を整理しています(図表1:経営情報システムの発展段階)。以下、この発展段階にそって投資評価論の発展を見ていきます。

図表1 経営情報システムの発展段階
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1.汎用機時代の投資評価
この時代は、汎用機(メインフレーム)と呼ばれる大型コンピュータにより給与計算や会計伝票処理などの定型業務を行っていました。組織内で手作業により行われていた業務をコンピュータに置き換え、省力化を実現するのが目的です。コンピュータの導入効果が省力化や人員削減として明確になるため、導入効果の測定は容易であったといえます。また、コンピュータで処理する適用業務がおのおの独立していたため、どの業務に何時間コンピュータを使用したかを知ることも容易でした。そのため、費用、効果共に定量的な数値による評価が可能であり、投資評価も容易な時代であったと総括出来ます。

2.PC時代の投資評価
この時代では、PC(パソコン)が普及しネットワークへ接続される形態が一般的となり、クライアント・サーバ型のシステムが広がりました。同時に、ダウンサイジングという概念が広がり、従来は汎用機で行っていた処理をUNIXサーバなどより廉価なハードウエアへの移行が進みました。
IT利用の方法においても、差別化による競争優位を獲得する戦略的情報システムが登場しました。さらに、BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)が唱えられ、ビジネスプロセスの再構築にITが大きな力を発揮することが認識されるようになりました。
このようなITの発展と組織における利用形態の高度化は、IT投資評価においても新たな課題を生み出しました。その第1の点は、クライアント・サーバ型の普及やマルチベンダー化が進んだことにより、コスト構造が複雑になりIT投資の全体が把握しにくくなったことです。汎用機の時代では、専用端末として特定の業務に使用するハードウエアやソフトウエアを特定することは容易でしたが、PCの時代ではその特定が困難です。第2の点は、ITの導入効果が拡大したことです。従来は省力化や事務の効率化など導入効果は定量的なものであり測定は比較的容易でしたが、PCの時代では、支援型や戦略型とも言うべき利用形態が生まれ、定性的な投資効果についても把握することが求められるようになりました。
エメリという研究者は、「ある特定の情報が持っている価値は、その情報を利用することから組織が得られるペイオフ(利益)の増加量に等しい」と主張し、「情報の価値=(その情報がある場合のペイオフ) マイナス (その情報がない場合のペイオフ)」としてIT投資効果を求める方法を主張しました。また、パーカーとベンソンは、IT投資効果の測定において、従来の会計的手法である費用対利益分析(CBA)や投資利益率(ROI)の限界を指摘し、利益に替わる指標として「価値」という概念を主張しました。価値とは、投資利益率などの価値に加えて、戦略支援価値、経営管理情報価値などです。
これらの主張は、従来の会計的手法では定量的な投資効果は把握出来ても定性的な投資効果を把握するのが困難であるとの認識によるものといえます。しかし、これらの主張は会計的投資評価を否定するものではなく、IT投資効果をより多面的に捉えるにはそれ以外の評価方法を加える必要があるとの認識がベースになっています。

3.インターネット時代の投資評価
インターネットが普及したことにより、組織・個人におけるITの位置づけや利用目的が大きく変化しました。また、Linuxなどのオープンソース・ソフトウエアが登場し、PCの時代よりさらにオープンなIT環境が登場しました。これらは、Webサービスとしてインターフェースを共通化し、システム間の相互連携をよりオープンなものとしています。
企業においては、ERPパッケージが普及し、企業内システムの統合化が進みました。さらに、インターネット環境との融合によりEC、CRM、SCMなどが登場し、企業間、企業と個人をつなぐ多様な情報システムが発展しました。また、オープンなネットワーク環境の中で、コンピュータウイルスやクラッキングと呼ばれるシステムへの不正侵入・破壊などが表面化し、情報セキュリティ対策が重要な課題となりました。
インターネットの時代に入って、IT投資評価も新たな展開を迎えることになりました。例えば、SCMのように情報システムが複数の企業をまたがって運用される場合、投資効果はサプライチェーン全体で把握することが必要になります。CRMにおいて、顧客満足度向上に情報システムがどのように貢献したか、測定するのは容易なことではありません。さらに、ITへの投資拡大と共に情報システムの規模、開発期間も長くなってきました。大手企業でのERP導入プロジェクトなどの場合は、総投資額が100億円を超えプロジェクト期間が何年かに渡るものも珍しくなくなっています。製造業の工場建設と同等の投資額が1つのITプロジェクトに費やされるのです。IT投資が設備投資に占める比率が拡大し巨額化していくと、投資家への説明責任が問われるようになってきました。さらに、IT投資に係わるリスクも無視出来なくなりました。
この時代の代表的なIT投資評価に関する主張を2つ紹介します。米国MITの教授であるP.ウエイルとガートナーのコンサルタントであるM.ブロードベントは、個別のIT投資プロジェクト評価ではなく企業全体の視点からIT投資をマネジメントする方法として「IT投資ポートフォリオ論」を主張しています(図表2)。

図表 2 IT投資ポートフォリオ戦略
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ウエイルらは、企業は4つの異なるマネジメント目的、すなわち(1)インフラ関連、(2)業務関連、(3)情報関連、(4)戦略関連、にIT投資を行っており企業戦略に合致した投資配分を選択する必要があるとしています。例えば、マーケットでチャレンジャーの企業はマーケット・リーダーの企業と比べ、競争力強化のため戦略分野への投資比率が高いことが予想される。電気やガスなどの長期安定産業では、戦略関連への投資比率が他の産業の企業に比べ低いことが予想されます。この主張の特徴は、従来のIT投資評価が個別案件ごとの投資評価を目的としていたのに対して、企業全体でのIT投資効果の最大化を目的としています。企業戦略との整合性でIT投資配分を捉えようとするところに特徴があるといえます。
我が国では、松島桂樹氏(武蔵大学教授)が、IT投資評価を行うにあたり、情報システム関係者間の合意形成と良好な関係の維持が重要であることに着目した合意形成モデルを主張しました(図表3)。IT投資に係わるのは、意思決定者、情報システム部門、利用部門の3者であるが、その3者間の合意形成には多くの困難がある。投資に関する意思決定を行うのは、経営者などの意思決定者であり、投資を行う対象は情報システム部門である。さらにその投資によって成果を企業にもたらすのは利用部門である。この3者間での投資から利益回収までの良好な関係の維持が重要な要素であることを指摘しました。その上で、IT投資の経済性評価を精緻に行うことには限界があり、それより重要なのは、IT投資の計画・意思決定・事後評価の全体プロセスを効果的に管理することを通じて投資効果を生み出していくIT投資マネジメントであると主張しています。松島は、IT投資マネジメントの一部としてIT投資評価を捉えており、インターネット時代のIT投資の特徴を反映したものといえます。

図表3 IT投資の合意形成モデル
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IT投資評価困難さの一因である不確実性に着目し、金融工学の分野で採用されているリアルオプションの考え方をIT投資評価に取り込もうとする研究もあります。IT投資における不確実性とは、技術革新などによる陳腐化のリスク、システム開発遅延やトラブルなどのリスクなどが想定されますが、これらの対策としてリアルオプションを適用するものです。同志社女子大学の加藤敦教授は、リアルオプションとバランスト・スコアカードの組み合わせでIT投資の意思決定や投資評価を行う手法を提案しています。

4.今回のまとめ
今回はIT投資評価に関する研究を歴史的にたどったため、やや長文になってしまいました。そのため、まとめとして今回の内容を整理します。
IT投資評価は、管理会計分野で研究されている設備投資の経済性評価の手法をそのまま適用することから始まりました。その後、会計的手法では金額換算出来ない定性的なIT投資効果を測定する方法が登場しました。さらに、インターネット時代になると、IT投資の拡大と共に投資効果の範囲も飛躍的に広がりました。この時代では、経営戦略とIT戦略の整合性が問われるようになり、投資家への説明責任も含めてリスク・マネジメントの視点も必要になりました。IT投資評価をIT投資マネジメントの一部としてとらえ、継続してマネジメントする必要性も理解されるようになりました。

注:ITC近畿会Webサイトから転載  2008/5/17
http://itckinki.jp/article.php/20080511fujiwara2?query=IT%E6%8A%95%E8%B3%87%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88