電子書籍元年

今年に入って、電子書籍に関する動きが進んでいます。
アマゾンの「Kindle」に続いて、アップルのiPadに注目が集まり、また、ソニーが電子書籍端末の国内再参入を検討するなど、電子書籍リーダーの市場が活気づいています。電子書籍を迎え撃つ出版・流通業界は、電子書籍の業界団体を設立し、必要なルール作りを進めています。また、原口総務大臣が「2015年までにデジタル教科書を全ての小中学校全生徒に配備したい」と発表するなど、電子書籍への注目は高まっています。
私たちが注目しなければならないのは、電子書籍が読者としての私たちにどのような新しい価値をもたらすかです。
電子書籍の登場は、グーテンベルクが活版印刷機を発明して以来、500年ぶりの歴史的大変化と見ることもできます。電子書籍は紙の書籍に取って代わる可能性を持っています。紙の書籍が一掃されるとは考えにくいですが、電子書籍がもたらす価値がはっきりすれば、電子書籍が急速に普及する可能性は大いにあります。
新しい市場の登場を検討する際、その関連する業界構造を分析するのが定番です。書籍市場に関わる”登場人物”=業界関係者を見てみましょう。
書籍に関わる”登場人物”は、
(1)本から価値を受け取る読者、
(2)本の執筆を生業とする著者、
(3)本の販売から生業を得る出版・流通業者
の3者に分類できます。
電子書籍の普及は、これら3者に何らかの影響を及ぼし、また、それらの振る舞いが電子書籍の普及に影響していくことが予想されます。
私の大学ゼミ生が、電子書籍に関する詳細な報告を作成してくれたので、それをベースに電子書籍のこれからを検討していきます。

■ 読者へ新しい価値(読書スタイル)提案
我が国の電子書籍市場は、毎年前年比100%成長をつづけており、携帯市場(ケータイコミックなど)では、150%成長が続いているとのことです。これは、紙の書籍に代わる新しい読書スタイルが登場しつつあると見ることができます。
それでは、新しい読書スタイルとはどのようなものでしょうか?
アマゾンのキンドルを例に、電子書籍の新しい”価値”を考えてみましょう。
第1の特徴は、高解像度の専用端末である点です。パソコンの画面より解像度が高いため、長時間見ていても目が疲れないという特徴があります。
第2の特徴は、書籍データ購入の利便性です。アマゾンが運営するKindle Storeから直接ダウンロードができ、しかも通信料は無料です。また、当然ですが書籍の購入費用は、紙の書籍に比べ低価格です。
第3の特徴は、書籍の持ち運びが容易という点です。紙の本は意外と重いです。キンドルなら、536グラムの重さで3500冊持ち運びが可能です。(そんなに持ち運びたい人はいないと思いますが・・)
デメリットとして指摘されるのは、表現力の不足ですが、高解像度の端末があれば早晩克服されるように思います。
デメリットは少ないように思えますが、わたしのように、書棚に並んでいる本を見ることで充実感を味わっているような”旧人類”には、とても寂しいことですが・・・。

■ 執筆者の視点
執筆を生業(なりわい)の一部とする私にとって、電子書籍の普及は歓迎すべき動きです。すでに、学術論文のほとんどは電子化されており、かなりの部分はネット上でダウンロード可能となっています。学術論文は、いくら販売されているかではなく、どれだけの研究者が参照しているかで評価されます。
しかし、執筆者の多数派は、出版社から受け取る印税によって収入を得ている方でしょう。その方々にとって、電子書籍の普及は歓迎すべき動きでしょうか。
アマゾンの例で考えてみましょう。
アマゾンが著者に支払う印税は、70%になります。つまり、1冊(1ダウンロード)でアマゾンが得た収入の70%が著者に支払われるということです。一般的に紙の書籍の印税が10%前後と言われている中で、これは破格の報酬です。紙の書籍を出している著者のほとんどは、電子化に合意するでしょう。
紙の書籍の場合、一定部数以上の販売が見込まれない書籍は出版することが出来ません。書籍の制作に関わる原価(印刷費、編集費、広告宣伝費、etc)の回収が見込まれない書籍は、出版できないことになります。これは当たり前のことです。
他方、電子書籍の場合、これらのコストは限りなくゼロに近づきます。あまり売れそうにないような本でも出版が可能になります。まさに、ロングテール型のビジネスが成り立つということです。
このように見ると、執筆者にとってあまりマイナスの要素はないようですね。

■ 出版社はどこへ行く?
電子書籍に関連する3番目の”登場人物”である、出版社・書籍流通について考えてみましょう。これらの方々は、電子書籍化の”抵抗勢力”でしょうか?
新しい価値をもたらさない抵抗勢力は淘汰されるというのが歴史の鉄則ですね。
それでは、出版社・書籍流通はどのような新しい価値をもたらそうとしているのでしょうか?冒頭で述べた「電子書籍の業界団体を設立し、必要なルール作りを進め」るというのは、新しい価値を生み出すでしょうか?
出版業界の将来をまじめに考えておられる方々は、「出版社からマルチメディアカンパニーへ」や「知的サービス業へ」などのコンセプトを提示し、発展の方向を模索されています。
私は、これまでに経験した数少ない出版の経験から、出版社のなくてはならない機能を主張したいと思います。それは、編集者の機能です。編集者は、読者と執筆者の間に立ち、読者の求める本はどのような内容か、執筆者がどのように表現することで読者に受け入れられるかを示すことが出来る専門職です。執筆者と読者との間のコミュニケーションを司る専門職といえます。
私は、これまでの書籍出版経験の中で、編集者から教わった点は計り知れないものがあります。編集者によって育てられたと言っても過言ではないと思っています。書籍の電子化によって、このような編集者の機能はますます重要になると思います。
出版社はどこへ向かうのか?最後になりますが、それを考えるヒントとして、マーケティング論の元祖と言われるT.レビットが1960年に書いた論文を紹介します。
「(1960年の米国で)鉄道が衰退したのは、旅客と貨物輸送の需要が減ったためではない。・・・鉄道以外の手段(自動車、トラック、航空機・・)に顧客を奪われたからでもない。・・鉄道会社は自社の事業を、輸送事業ではなく、鉄道事業と考えたために、顧客を他へ追いやってしまったのである。・・・顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。」(マーケティング近視眼)

参考文献:
・松田次郎「電子書籍市場の可能性」宮城大学事業構想学部eビジネス発表資料
・T.レビット「マーケティング近視眼」ハーバード・ビジネス・レビュー(1960)
http://www.itc-kyoto.jp/2010/05/17/電子書籍元年-藤原-正樹/
より再掲

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