災害と情報について考える

今日(2012.2.17)、京都大学で「情報学シンポジウム:災害と情報学」が開催された。
災害と情報をテーマとする集まりは、災害時の情報通信環境に関するテーマが多い。携帯がつながらない、停電でインターネットが使えない、などの課題が多かった。

今回は、社会情報学がテーマため、災害時の”情報”そのものがテーマとなった。災害と情報を考える場合、情報通信環境を問題にするより、情報環境そのものをテーマとすることは重要である。ハードインフラとしての情報通信環境は、技術の進歩で克服することは出来るが、人が介在する情報環境は人が解決するしかない。
「電力や水がなく、また食料も十分にない状態で生活するのは本当に大変です。しかし、最悪なのは、何の情報も得られないことです」(石巻市、イワサワ ユタカ) ワシントンポスト(2011.3.21) 今回の震災は、過去の災害に比べ情報の有用性が改めてクローズアップされた。

「今回の震災では、情報のインフレーションンが起こった」(八木浩一:ITSJapan)との評価の通り、これまでの震災とは比べものにならないくらいの情報が行き交った。「情報とは暗闇の中の光であり、希望そのもの」(賀沢秀人:グーグル)であった。その多くは、ソーシャルメディアによるものだ。TwitterやFacebook、USTREAMなどがその情報発信源だ。
かって、情報が所有していることが優位性を生み出した。ところが現在は、「みなで参加(join)して、情報を共有(share)すること」(中神武志:ウエザーニュース)が価値を生み出す。ここでは、顧客が、情報を受け取るだけのユーザーではなくサポーターに変身する。
このような時代変化の中で、情報をどのようにコントロールしていくか(これは古い見方か?)
情報を重ね合わせ、検証した上で再提供することが重要になる。ここでは、膨大な情報をつなぎ合わせる役割が必要となる。
このような役割が”情報ボランティア”に求められた。

情報爆発の時代を前に、”情報をさばく人”が登場した。これが、”情報ボランティア”の役割になる。
情報は持っていることが価値を生むのではなく、共有(Share)してこそ価値を生むという見方が理解されるようになった。これは大きな変化だ!
次の変化に、情報システムが介在すべきこと。”情報爆発”と言われる時代で、その情報量を人間が生データとして分析するのは不可能だ。ここには情報システムの力が必要になる。「Twitterのつぶやきから、道路の復旧状況を特定する」(八木浩一:ITSJapan)ことは、夢ではない。すでに、ウエザーニュースで同様のことが行われている。
ここでは、”情報技術と人の相互作用”が必要だ!